疲れていると、何を見ても感動しなくなる
夜、好きだったはずの映画を流しても、途中から画面をただ眺めているだけになっています。
きれいな景色を見ても、いい話を聞いても、心が少しも動かない。そういう時期があります。
感動しなくなったのは、冷たくなったからでしょうか
心が動かなくなると、自分が冷たい人間になったように感じます。けれど多くの場合、起きているのは消耗です。
感動するには、受け取る余白が要ります。張りつめた状態が続くと、体は余白を削って、目の前の用事に力を回します。
心が動かない日が続いたあと
はじめは、疲れているからだと分かっています。そのうち、それが普通になります。
放っておいて何か月か過ぎると、楽しいはずの予定まで義務になります。何を見ても同じに感じるので、新しいことを始める気持ちも出てこなくなります。
深いところから心が動く、ということ
大人になると、深いところから感動する経験はめったにありません。暮らしのほとんどが、こなすことで埋まっているからです。
それでも、緊張がほどけた時間には、思いがけないほど心が動くことがあります。自分でも驚くくらい、何度でも。
感動しようとすると、かえって遠ざかります
心が動かないことに気づくと、人は取り戻そうとします。評判の映画を観る、景色のいい場所へ出かける、感動するはずの予定を入れる。
ところが、感動を目的にした時間ほど、心は動きません。期待が先に立って、目の前のものを受け取る余白がまた削られるからです。
心が動くのは、たいてい何かを取りに行ったときではなく、構えがゆるんだときです。探しに行くより、緊張の降りる時間をつくるほうが近道になります。
毎週、同じように心が動く人たち
一度の感動は偶然でも、毎週続くとなると話が違います。場のほうに、心が動く条件が整っているということです。
感じなくなっていたのは、感じる力がなくなったからではありません。そうできる時間がなかっただけです。人のそばにいるだけで、自分の状態が変わる理由にも書いています。
どうして毎回あんなに感動してしまうのだろう。ヨガの翌日、こう記してくださった方がいます。
参加者の方から届いたお便りより