一人だと続かないのは、意志の問題ではない
部屋にマットを敷いて、一人で動画を再生する日。
決まった時間に、画面の向こうの人たちと一緒に動く日。
同じ動きを、同じ長さだけやっているのに、終わったあとがまるで違います。
動画を見ながら一人でやった日と、みんなで同じ時間にやった日とでは、終わったあとがまるで違う。続き方も違います。
一人でやるときに、余分にかかっているもの
一人のときは、始める判断と、続ける判断と、やめない判断を、全部自分でしています。動きそのものより、この判断のほうが消耗します。
同じ時間に誰かがいると、その判断が要りません。始まっているから始める。それだけで、使う力がかなり減ります。
気合いを入れ直す、という方法の寿命
続かないと分かると、まず決意を固くします。予定表に書く、時間を決める、道具をそろえる。
最初の二週間は動きます。そのあと一度できない日が来ると、そこで途切れる。途切れたことを責めて、再開の重さがまた増えます。
続かないのは、意志の量のせいではありません。一人で全部の判断を背負う形になっているからです。
同じ動きでも、体の反応が変わります
人は、そばにいる人の状態を受け取ります。これは気分の問題ではなく、体のほうで起きていることです。
ですから、同じ動きを同じ順番でしていても、静まった人が一緒にいる場では、ゆるみ方が変わります。一人でやったときとの差は、意志や集中の差ではありません。
解説を聞いているだけの時間から、もう変わり始めている。そう感じる方が多いのは、そのためです。
その場に一緒にいる、ということ
同じ時間に、同じことを、誰かと一緒にしている。それだけで、終わったあとの感じが変わります。
一人でやったあととは全く違うすっきり感がある、と書いてくださいました。週の真ん中にそれがあることを、オアシスと呼んでいらっしゃいました。
やめてしまったまま時間が経つと、再開の重さは増え続けます。やらなかった日数そのものが、次の一歩を重くするからです。
続ける力がないわけではないのです。続けやすい形を、まだ持っていないというだけのことです。関連して、背中の痛みで動けない日に体にできること。
ライブのあとに届いた言葉を、そのままご紹介します。
参加者の方から届いたお便りより