誰にも分かってもらえない、と感じる孤独
「誰にも分からないよ」
画面越しにそう言った人の顔を、あとから思い出すことがあります。長いあいだ、一人で立っていた人の顔です。
分かってもらえない状態が続くと
説明をやめます。やめると楽になりますが、代わりに距離ができます。
距離ができると、周りはその人を大丈夫な人として扱います。扱われるほど、言い出しにくくなります。
支える側にも、同じことが起きます
人を助ける立場にいる人ほど、自分の状態を話す相手がいません。話せば相手が心配するからです。
抱えたまま何年か過ぎると、話さないことが当たり前になります。周りからは、悩みのない人に見えています。
一人でも、分かる人が現れたとき
全部を理解してもらう必要はありません。一部でも、同じものを見ている人が一人いれば、状態は変わります。
そのとき人が見せるのは、安心よりも先にうれしさのほうです。長く一人だった人ほど、その反応がはっきり出ます。
見ている側が、それに気づくことがあります
支えられている側が、支えている人の孤独に気づく瞬間があります。ふだんは見えない部分だからこそ、見えたときの印象が強く残ります。
自分が助けられていることと、相手が一人であることは、両立します。
助けられている側にできること
相手の孤独に気づいたとき、何かを返そうとすると、たいてい空回りします。返せるものの大きさが、そもそも釣り合わないからです。
できるのは、気づいたことを伝えるくらいです。それだけで十分なことがあります。分かられていないと思っていた人にとって、いちばん効くのは内容ではなく、見ていた人がいたという事実のほうです。
孤独は、立場が上の人ほど見えません
頼られる側、教える側、支える側。役割がはっきりしているほど、弱い部分は見せられなくなります。
見せないので、周りは困っていないと判断します。判断されるほど、さらに見せられなくなります。
伝え方の技術の話ではありません
言葉にしにくいものを持っている人ほど、伝わりません。伝え方の技術ではなく、受け取れる人がその場にいるかどうかの話です。一人で抱えている感じが、ずっと続いているときでは別の角度から書きました。
理解者が現れたことが何よりよかった、喜んでいる姿を見られたことがいちばんうれしかった。そう書いてくださったお便りをご紹介します。
参加者の方から届いたお便りより