一人で抱えている感じが、ずっと続いているとき
職場にも家にも人がいて、今日も何度も話した。
それなのに、玄関を閉めて一人になると、いちばん重いところは朝と同じ場所にある。
それなのに、いちばん重いところは誰にも渡せないまま、ずっと自分の中にある。
孤独と、一人で抱えていること
この二つは違います。孤独は人がいないこと、抱えているのは、人がいても渡せないことです。
渡せない理由はいろいろあります。うまく言えない、心配をかけたくない、話しても分かってもらえなかった経験がある。理由が何であれ、結果として、持ち続けることになります。
分かってもらおうとすることの疲れ
たいていの場合、はじめに手をつけるのは説明です。分かってもらえるように順序立てて話す、言葉を選ぶ、例え話を探す。
説明が上手になるほど、伝わらなかったときの落差は大きくなります。そして何度か続くと、話すこと自体をやめてしまいます。
相談する相手を増やす、という方法もあります。ただ、人に聞くほど、その人の絡まりも一緒に入ってきます。答えが増えるほど、自分の輪郭のほうが見えにくくなる。
「いつでも話してね」が、効かないとき
周りの方は、たいてい親切です。いつでも話して、力になるから、と言ってくださる。
それでも話せないのは、相手の問題ではありません。話せば相手が心配する、その心配をこちらがまた引き受ける。そこまで見えているから、口を開く前に閉じてしまいます。
優しい人に囲まれているほど、渡しにくくなることがあります。これは、恵まれていないという話ではなく、渡す先の種類が違う。ただ、それだけのことです。
説明しなくてよい場所
説明しないと伝わらない、というのは思い込みであることがあります。説明を求められない場所に入ったとき、初めて力が抜ける方がいらっしゃいます。
同じものを抱えている人たちがいる、と分かるだけで変わることもあります。何も話していなくても、です。
抱えたままの時間が長くなると、渡し方そのものを忘れていきます。そして、渡せないことが自分の性格だと思えてきます。
一人で抱えなくてよかった、と後になって言われる方は多くいらっしゃいます。それは弱さではなく、ただ、そういう場所を知らなかったというだけのことです。一日の中に気が休まる時間がないときという記事もあります。
そして、渡せたあとに湧いてくるのは、多くの場合、安堵ではなく驚きです。こんなに軽くなるものだったのか、と。
ここに出会えたことについて、ある方がこう書いてくださっています。
参加者の方から届いたお便りより