気を紛らわすために食べてしまう、と気づいたとき
「お腹は空いていないのに、何か食べたい」
そう思って冷蔵庫を開ける。開けてから、何を探していたのか分からなくなる。
食べているあいだは、何も考えなくて済みます。終わったあとに、少しだけ後ろめたさが残ります。
味わうことと、麻痺させること
同じ行為でも、中身はまったく違います。味わっているとき、人は起きています。麻痺させているとき、人は止まろうとしています。
食べ物に限りません。動画を見続ける、買い物をする、予定を詰める。どれも同じ働きをすることもあります。
やめようとすると、なぜ増えるのでしょうか
最初に思いつくのは、やめることです。買わない、決めた時間以外は食べない、記録をつける。
我慢しているあいだ、張りは消えていません。行き場をなくした張りは、別のところに出るか、我慢が切れたときにまとめて戻ってきます。
そして、やめられなかった自分を責める。責めることで張りがまた増え、また紛らわせたくなる。この輪は、意志の強さでは切れません。
それが起きるのは、たいてい夜です
昼のあいだは、やることがあるので出てきません。一人になって、静かになった瞬間に始まります。
静かになると、日中ずっと押さえていたものが上がってきます。上がってきたものを見たくないので、何かで埋める。埋めるものが、たまたま手近にあった食べ物だった。それ以上の意味はありません。
ですから、これは食欲の話ではありません。静かになったときに出てくるもののほうが、本体です。
静まったあとに、感動が戻ってくること
逃げるためではなく、神経が落ち着いたときに味わうと、同じものがずっと深く届きます。
そうなると、紛らわせる必要そのものが減ります。やめようとしてやめるのではなく、要らなくなるという順番です。
何でもない道端で、ふと胸が動く。そういうことが起きるようになった、と書いてくださる方がいます。
紛らわせ続けたまま時間が経つと、味わう力のほうが鈍っていきます。鈍るともっと強い刺激が要るようになり、量が増えていきます。
意志やだらしなさの話ではなく、そうしないと持たなかった、という話です。そうしないと持たなかった、というだけのことです。自分を責める癖が止められないときもあわせてお読みください。
短い一文に深く動かされた、という方が、そのときのことを書いてくださいました。
参加者の方から届いたお便りより