親のことを考えると、今も胸がざわつくとき
実家に電話をかける前に、少し身構える。
親の話題が出ただけで、その日の空気が変わる。
もう何十年も前のことなのに、思い出すと当時と同じ感じが体に出る。
本人は「もう終わったこと」だと思っています。それでも、体のほうは終わっていません。
なぜ、家族のことだけは片づかないのでしょうか
他人との出来事は、時間が経てばある程度片づきます。家族が違うのは、関係がまだ続いていることと、いちばん幼かった時期に作られた形だからです。
言葉を覚える前に受け取ったものは、言葉では取り出せません。だから、いくら説明しても、説明した先に何も変わらないという感じが残ります。
分かろうとすることが、どうしてこじれるのでしょうか
ここで多くの方がされるのは、理解することです。親にも事情があった、あの時代はそうだった、悪気はなかった。
頭では納得できます。納得したのに胸がざわつく、という状態が残る。するとその残りに対して、「まだ許せていない自分」を責め始めます。
距離を取る、連絡を減らす、という方法もあります。有効な場面もありますが、離れているあいだも体は警戒を続けているので、疲れ方はあまり変わりません。
絡まっているのは、自分だけではありません
家族は、お互いに絡まり合います。ですから、自分ひとりが頑張っても動かないことがある。
「自分が変わっても、家族が変わらないと意味がない」とよく言われます。順番が逆に見えているだけ、ということが、ここでもよくあります。
そして厄介なのは、何が絡まっているのか、本人からはいちばん見えにくいことです。近すぎるからです。
放っておいても、この種の絡まりがほどけることはあまりありません。終わったことにしたまま何年も経つと、その上に新しい絡まりが重なっていきます。
引きずっているのではなく、ほどかれていないだけです。同じことは良くなったはずなのにまた元に戻ってしまうことでも触れています。
親や家族への思いについて、正直に書いてくださった方の言葉です。
参加者の方から届いたお便りより