困ってはいないのに、気持ちが晴れない日
朝起きた時点で、はっきり困っていることはありません。それでも、気持ちが晴れません。
理由を挙げようとすると、どれも大したことではない気がします。挙げられないので、相談もしません。
苦しくないのに重い、という状態
苦しさには輪郭があります。どこが、いつから、どれくらい。輪郭があると、人に説明できます。
重さのほうには輪郭がありません。説明できないので、気のせいにされます。自分でも、そう片づけます。
説明できないものは、後回しになります
医者に行くほどではない。休むほどでもない。こうして、どの窓口にも当てはまらないまま持ち続けることになります。
放っておいて時間が経つと、その重さのほうが標準になります。晴れている状態がどんなものだったか、思い出せなくなります。
軽くなって、初めて分かります
重さは、なくなってから分かります。持っているあいだは、それを含めて自分の状態だと思っているからです。
だから、軽くなった人の多くが同じことを言います。あんなに持っていたとは思わなかった、と。
困っていなくても、軽くなることがあります
困りごとを片づけたから軽くなる、とはかぎりません。大きな問題を扱わなくても、重さだけが降りることもあります。
これは気分の問題ではなく、体のほうで起きていることです。以前より穏やかな日常になってもなお、さらに軽くなる余地が残っています。
穏やかになったあとに、残るもの
大きな苦しさが片づいたあと、しばらくしてから、別の重さに気づく方がいます。前の苦しさが大きすぎて、隠れていたものです。
これは後戻りではないのです。順番に出てきているだけです。大きいものから片づくので、次は小さいものの番になります。
小さいもののほうが、名前がありません。だから扱いにくく、放っておかれやすいところがあります。
説明できないのは、感じ方が大げさだからではありません
説明できるものだけが本物だ、という決まりはありません。言葉にならない分は、だいたい古いものです。一人で抱えている感じが、ずっと続いているときにも通じます。
セッションの前にものすごく苦しかったわけではないのに、この軽さは何なのだろう。そう寄せてくださったお便りです。
参加者の方から届いたお便りより