不安なときほど、特別な答えを探してしまう
本棚の一段が、いつのまにか全部その手の本になっている。
何年も学んできたはずなのに、苦しさの質が変わっていない。
本を読み、講座に出て、教えてくれる人を探した。そのたびに何かが分かった気がして、そして元に戻る。
特別に見える人に惹かれるのは、なぜでしょうか
自分には見えないものが見えているように感じる。普通の人が感じられないことを感じているように見える。そして、楽しそうに生きているように見える。
苦しいときほど、その差は大きく見えます。差が大きいほど、そこに答えがあるはずだと思えてきます。
探すこと自体が、絡まりを増やすことがあります
多くの方が最初に試されるのは、もっと良い教えを見つけることです。合わなかったのは相性のせいだ、次こそ本物かもしれない。
探している状態は、常に「ここではないどこか」に向かっています。次へ、次へと向かう動きそのものが、苦しさの正体であることもあります。
答えが増えるほど、自分の輪郭は見えにくくなる。人に聞くほど分からなくなるのと、同じ仕組みです。
向かわなくていい、という状態
何年も聞いてきた解説が、あるとき腑に落ちた。そういう変化が起きる場合があります。どんなに穏やかそうに見える人の言葉でも、次に向かうエネルギーであることに変わりはなかった、と。
気づいたのは、教えの中身が間違っていたということではありません。向かい続ける動きのほうが問題だった、という気づきです。
探し続けたまま年月が経つと、探すことが生活の形になります。そして、探していない時間が落ち着かなくなります。
これは、理解力が足りないからでも、騙されやすいから、という話ではありません。きちんと向き合ってきた方にしか起きないことです。頭では分かっているのに、できないのはなぜかも同じ話です。
授業のあとに湧いたことを、ある方が記してくださいました。
参加者の方から届いたお便りより