Resonance Labo

頑張るほど、かえって遠ざかる感じがするとき

夜、一日の終わりに手帳を見返す。書いたことは、ひととおりやった。
それでも、何ひとつ動いていない気がする。

むしろ、力を入れるほど固くなっていく感じがする。休んでいるつもりの時間も、どこかで構えたままになっている。

力を入れることが、なぜ裏目に出るのでしょうか

結び目は、引っぱるほど固くなります。ほどこうとする動きそのものが、締める方向に働いてしまうことがある。

これは努力が足りないのではなく、むしろ逆です。きちんと向き合ってきた方にしか起きません。

やり方を変えれば動くのでしょうか

うまくいかないとき、まず疑うのはやり方です。別の方法を探し、試し、また次を探す。一つひとつは正しいのに、全体としては同じところを回っている。

次に疑うのは自分の努力量です。もっとやれば、もっと早く起きれば、もっと集中すれば。ここまで来ると、休むことにも罪悪感が混じり始めます。

方法も努力も足りていて、それでも動かないとき、問題は別の層にあります。

何年もかけて、分かること

長く聞いてきた言葉が、ある日ふいに腑に落ちることもよくあります。

それまでの年月は無駄だったのではなく、分かるための準備だったのだと、あとから気づきます。分かる瞬間は、狙って呼べるものではありません。

何もしない、とはどういうことでしょうか

「ただ触れるだけでいい」という言い方は、最初はほとんど意味が分かりません。何かをしなければ変わらない、と私たちは思っているからです。

けれど、緩んだあとに動き出したものを見ていると、順番は思っているのと逆であることが多いのです。頭では分かっていてもできないことについては、こちらの記事にも、近いことを書いています。

引っぱり続けたまま年月が経つと、結び目は固くなり、その上に新しい絡まりが重なっていきます。時間が経つだけでほどけることは、あまりありません。

頑張った量の問題ではないのです。

何年も聞いてきた言葉が、あるとき急に分かった。そう伝えてくださった方の文章です。

お便り
今日の投稿で 菜穂ちゃんがずっと 伝えてくれてたのはこれだったんだって 深く沁みてきました 先週の大人の学校や タキコーチとのコラボLiveも 大きく影響してるなと実感してます 涙が出てしまうような 美しい写真の菜穂ちゃんや 菜穂ちゃんが紡いでくれる文章 そこからも 菜穂ちゃんの見た目の美しさだけではなく 内側から溢れるような 存在そのものの美しさや わたしとは真逆の存在の在り方が 伝わってきます そしてそれに 体が共鳴するのも感じます 言葉より先に 人はそういうものを受け取ったり 与えたりしているなんて 共鳴のパワーには本当に驚かされます わたし達は何もしなくていい ただ触れるだけでいいんだよ 菜穂ちゃんがずっとずっと 伝え続けてくれたこの言葉 これがどういうことか 今になって 少し分かったような気がして 私は何年聞いてきたのだろうか これにも衝撃です わたしの世界にはない わたし達が救われる こんなに素晴らしいことを 菜穂ちゃんの存在の全てをもって 伝え続けてくれる 何ということだろう... 菜穂ちゃんという愛の存在に ただただ感謝が溢れてきます

参加者の方から届いたお便りより