夫を亡くしたあと、後悔だけが残るとき
ふとした夕方に、急に来ることがあります。
もっと優しくできたはずだ。あのとき、なぜあんなことを言ったのだろう。生きているうちに気づきたかった。
時間が経つほど和らぐと言われますが、和らぐのは表面で、後悔のほうはそのまま残ることがあります。
不満だった記憶と、愛されていた記憶
一緒に暮らしていたころは、足りないところばかりが目についた。もっと、もっとと思っていた。
亡くなってから、その同じ日々を思い返すと、まったく別のものが見えてくることがあります。あのとき自分は愛されていたのだと、何年も経ってから分かる。
分かった瞬間に湧くのは、多くの場合、安らぎではありません。なぜ気づけなかったのか、という悔いのほうです。
忘れようとしても、消えないもの
たいていの場合、はじめに手をつけるのは、考えないようにすることです。予定を詰める、写真を片づける、話題にしない。
そのあいだは止まりますが、ふとした瞬間に戻ってきます。押し込んだものは減らず、場所を変えて残ります。
前を向かなければ、と自分を急かす方も多くいらっしゃいます。急かすほど、悲しみは行き場を失います。
周りは、もう大丈夫だと思っています
何ヶ月か経つと、周りの人は話題に出さなくなります。気遣いからですが、こちらには「もう終わったこと」として扱われたように届きます。
そうなると、まだ続いていると言い出せません。言えば心配をかけるし、いまさらとも思われそうで、口を開く前に閉じてしまいます。
悲しみが長引いているのではなく、渡す場所がないまま持ち続けている、ということがよくあります。
話せる場所があるかどうか
世間では後ろめたくなるような話も、笑って聞いてもらえた。そう伝えてくださった方がいました。
人に話せない話ほど、抱えている時間が長くなります。そして長くなるほど、それは性格や体調の形になって出てきます。
これは、薄情だからでも、供養が足りないからでもありません。まだほどかれていないだけです。一人で抱えている感じが続いているときに詳しく書きました。
ご主人のことを書いてくださった方の言葉を、そのまま載せます。
参加者の方から届いたお便りより