話したあと、言い方を繰り返し思い出してしまう
夜、布団のなかで、昼間の受け答えをもう一度やり直しています。
あそこはこう言えばよかった。あの言い方は重かったかもしれない。何度でも再生できます。
終わった場面を、なぜ何度も開くのでしょうか
済んだことを繰り返すのは、無駄なようでいて理由があります。次に同じ場面が来たときに困らないよう、体が準備をしているからです。
つまり、責めているのではなく備えています。備えなので、終わりがありません。もう危なくないという合図が来ないかぎり、続きます。
思い出すたびに、形が変わります
再生を重ねると、記憶は元の形から離れていきます。相手の表情は険しくなり、自分の言葉は鈍くなります。
放っておいて重なっていくと、実際には何も言われていないのに、叱られた記憶として残ることがあります。
自分の話をした日ほど、強く出ます
まとまった量を話した日は、特によく起こります。話す量が多いほど、点検する箇所が増えるからです。
大事な場であればあるほど、帰り道から始まります。
場のほうが変わると、再生が減ります
自分で止められないものは、たいてい場の条件が変わったときに減ります。話を聞いた相手が急いでいなかった、責める気配がなかった、その場に味方がいた。
こうした条件が揃った日は、帰り道の点検が短く済みます。短く済んだ日が何度かあると、体のほうが学習します。
自分の努力ではなく、どこで話したかで変わる。ここが分かると、責める対象が一つ減ります。
気にしすぎ、という言葉では説明がつきません
備えの反応なので、意志では止まりません。止めようとすると、止められない自分を責める分が増えるだけです。
減っていくのは、その場は安全だったと体が納得したときです。周りの人の機嫌に、自分まで引きずられてしまうにも通じます。
帰ってからこう言えばよかったと浮かんできたけれど、あの場にいられたこと自体が安心だった。そう記した一通が届いています。
参加者の方から届いたお便りより