言葉が多い説明ほど、かえって疲れてしまう
説明が丁寧であるほど、聞き終えたあとに疲れが残ることが珍しくありません。
内容は正しい。役にも立つ。それでも画面を閉じたとき、頭が重くなっています。
言葉の量と、届く量
言葉が増えるのは、たいてい伝える側が不安なときです。伝わらなかったらどうしよう、という気持ちが、補足と言い換えを呼びます。
受け取る側は、その補足まで全部を処理しようとします。だから丁寧な説明ほど、聞き手の仕事量が増えます。
余分がないときに起きること
削られた言葉を聞くと、頭のなかに空きができます。空きがあると、自分の経験と照らす余裕が生まれます。
照らすことができれば、覚えようとしなくても残ります。これが、聞いても疲れない話の正体です。
疲れたまま聞き続けた先
疲れているのに続けると、理解ではなく我慢になります。我慢して聞いた話は、内容ごと嫌になります。
これが長くなると、学ぶこと自体から離れていきます。もう自分には向かない、と結論づけてしまう方も少なくありません。
向いていないのではありません。合わない量を渡されていた、というだけです。
少ない言葉を、受け取れるようになるまで
言葉が少ないものは、最初のうち物足りなく感じます。もっと説明してほしい、と思うのが普通です。
ところが何度か触れているうちに、足りないのではなく、こちらが埋めるようにできていることに気づきます。埋める余白があるから、そのときの自分に合った形で入ってきます。
同じものを聞いても、半年後には違うところが残ります。そのつど違う場所に届くのは、余白のあるもののほうです。
疲れ方で、合うかどうかが分かります
合うかどうかは、内容の良し悪しでは決められません。聞き終えたあとの体を見るほうが早いということがあります。
聞いたあとに動き出せるものと、横になりたくなるもの。この差は、量の差であることが多いものです。
聴き続けているうちに変わるもの
同じ声を長く聴いていると、内容より先に、聴いているときの体の状態が変わってきます。肩が下がる、呼吸がゆっくりになる。
それが起きる声かどうかは、何年聴いても疲れないかどうかで分かります。長く聴けるということ自体が、その声が余計な荷物を乗せていない証になります。
初めのころから聴き続けた人の話
量を減らすことは、手抜きとは違います。減らしたほうが難しい、ということもあります。考えごとが止まらず、頭が休まらないときにも通じます。
余分な言葉を使われないので、本当に貴重な存在だと前から気づいていた。そう教えてくださったお便りです。
参加者の方から届いたお便りより