家族なのに、気持ちが通じないと感じるとき
血のつながりがあれば、話は通じるものでしょうか。
家に帰って、台所で同じ時間を過ごしていても、肝心なところだけが噛み合わない。そういう家があります。
なぜ、身内にほど言えなくなるのでしょうか
近いからこそ、言えないことがあります。相手の反応が先に読めてしまうからです。
こう言えばこう返ってくる、と分かっている。だから口に出す前に取り下げます。会話は続いているのに、中身だけが抜けていきます。
外の人になら言えることが、家では言えない。これはよくあることで、冷たさとは関係がありません。
通じない時間が続くと、どうなるのでしょうか
はじめは、分かってもらえない寂しさです。そのうち、説明する手間のほうが大きくなります。
放っておいて年月が経つと、話さないことが普通になります。仲が悪いわけでもないのに、深いところだけ触れない家になる。
こうなると、本人も何を話したかったのか思い出せなくなります。
通じないのは、どちらかが悪いからでもありません
家のなかの会話は、役割のうえで交わされます。母として、娘として、妻として。その役から外れた話は、置き場所がありません。
相手に悪気があるわけではなく、受け取る枠がないだけです。だから熱心に説明するほど、相手は困った顔になります。
何度かそれを経験すると、人は話す前に相手の枠の大きさを測るようになります。測って、入らないと分かれば黙る。この習慣は、家の外にも持ち出されます。
話さないことに慣れた人が、家の外で見つけるもの
少し離れた場所で、同じものを見ている人に会うことがあります。説明の前半をまるごと省けるので、話がいきなり本題から始まります。
そのとき多くの人が驚くのは、内容ではなく速さのほうです。こんなに早く伝わるものだったのか、と。家で使っていた前置きが、どれだけ長かったかが分かります。
家が変わらなくても、話せる場所が一つあるだけで、家での沈黙の重さは変わります。黙っていることを選べるようになるからです。
通じる相手は、血縁とはかぎりません
同じ体験をしている人の前では、説明がいりません。前置きなしで本題から入れます。それだけで、肩のあたりのこわばりが変わります。
これは家族を否定する話ではないのです。話せる場所が家の外にもある、というだけのことです。一人で抱えている感じが、ずっと続いているときでも触れています。
血のつながった兄弟より気持ちが通じていると感じた。そう記してくださった方がいます。
参加者の方から届いたお便りより