人に会うと疲れる日と、そうでない日の違い
玄関を開けた瞬間に、鞄を置く力も残っていない日があります。
同じ人数、同じ時間、同じ場所。それなのに、帰り道が軽い日もあります。
駅の階段の上り方で、その日の差がはっきり出ます。
消耗の差をつくっているもの
人といて減るのは、話した量ではありません。減っているのは、構えていた時間のほうです。
どう思われているかを確かめながら話すと、会話と観察を同時に走らせることになります。二つ一緒に動かせば、当然もちません。
構えずにいられる相手なら、同じ三時間でも減り方がまるで違います。
気づかないうちに続いている見張り
やっかいなのは、構えている自覚がないことです。本人はごく普通に話しているつもりでいます。
それが何年も普通になっていると、構えていない状態がどんなものだったか思い出せません。比べる相手がないので、疲れやすい体質だと片づけてしまいます。
体質ではありません。同じ姿勢を長く続けた結果です。
減った分は、どこかで戻さないと積み上がります
一日の消耗そのものは、誰にでもあります。問題は、戻す時間があるかどうかです。
家に帰ってからも家族に向き合い、寝る前に翌日の段取りを考えていると、構えたまま朝が来ます。戻さないまま重なっていくと、週の後半に理由のない重さが出ます。
横になる時間を増やしても戻らないのは、体を休めても見張りが止まっていないからです。止まる場所が一つでもあるかどうかで、一週間の残り方が変わります。
会う前の時間も、消耗に数えます
人と会う日の疲れは、会っているあいだだけで決まるわけではありません。前の晩から、何を話そうか、どう見られるかを考えている方は多いはずです。
準備の時間まで含めると、実際に人といた時間の倍以上、構えが続いています。帰り道の重さは、その合計として出てきます。
疲れやすい人ほど、この準備の時間を自分では数えていません。会っていない時間に使った力は、どこにも記録されないからです。
同じ相手でも、前の日の過ごし方で帰り道の軽さが変わるのはそのためです。会う約束を減らすより、前の晩の構えをほどくほうが、暮らしの形を変えずに済みます。
帰り道が軽かった、という報告
人が集まる場に出ると、あとで必ず疲れてしまうでは、場そのものについて書きました。
こういう日が一度あると、物差しが手に入ります。あの感じが本来なのだ、と分かるからです。
会いに行く前より元気になって帰った。そう書き送ってくださった方がありました。
参加者の方から届いたお便りより