人が集まる場に出ると、あとで必ず疲れてしまう
会場に着いて、席に座った瞬間。
まだ何も始まっていないのに、体のどこかがもう身構えている。終わって外に出ると、話していただけなのに、へとへとになっている。
年に一度の集まり、研修、大きな勉強会。そういう日ほど、あとに残ります。帰りの電車で、もう何も考えられなくなっている。
疲れているのは、話した時間ではありません
人の多い場所では、体は絶えず周りを読み取っています。誰がどこにいて、どんな状態で、自分はどう合わせるか。それを意識せずに続けている。
ですから疲れの量は、話した時間ではなく、身構えていた時間で決まります。
準備をしていくのに、なぜ同じになるのでしょう
多くの方が、事前に準備をして向かわれます。話す内容を決めておく、早めに着いて席を選ぶ、深呼吸をする。
どれも意味がありますが、どれも頭で組み立てた準備です。会場に入った瞬間に体が身構えるのは、頭より先に起きることなので、そこには届きません。
「緊張しないようにしよう」と思うのも、たいてい逆に働きます。緊張を見張る役がもう一人増えるからです。
去年の自分と比べてみる
同じ場に一年ぶりに出てみると、変化がはっきり分かります。人と比べると見えない変化も、去年の自分と比べれば見えます。
体力的な疲れは残っていても、心の重さが違う。そういう差は、続けてきた時間のなかで少しずつ育っています。一日単位では気づけない変化を、年に一度の場が教えてくれます。
出かける前の状態が、その日を決めています
同じ場に出ても、体が静まった状態で入るのと、張ったまま入るのとでは、終わったあとがまったく違います。
去年と今年で天と地ほど違った、と書いてくださった方がありました。変わったのは場のほうではなく、向かう電車の中の状態でした。職場の空気に引きずられる疲れ方については、詳しくはこちらの記事へ。
この身構えは、放っておいて軽くなるものではありません。同じ場に出るたびに、同じところが少しずつ固くなっていきます。
気の弱さや社交性とは、関係がありません。読み取ってしまう力が強いのです。その力は、場が和らぐときには周りを助けてもいます。
減らすべきなのは感じ取る力ではなく、感じ取ったあとに身構える部分のほうです。
去年は自分の特性にやられて落ち込んで帰った勉強会に、今年また参加された方。そのときのことを書いてくださいました。
参加者の方から届いたお便りより