大和田菜穂が、声を届けるたびにしていること
夕方、洗濯物をたたみながら、その日届いた音声を再生します。
特別な日ではありません。昨日も、その前の日も、同じように届いていました。
はじめて聴いた日のことは、覚えていますか
最初に受け取った日のことは、たいていの方が覚えていらっしゃいます。どこで聴いたか、そのあと肩がどう下りたか。
けれど同じことが続くと、受け取るほうが先に慣れます。届いていることに気づかない日が増え、いつのまにか、あって当然のものになります。家族との時間にも、同じことが起きます。
軽く差し出されたものほど、重さが見えない
あるとき菜穂は、LINEボイスの中で、自分がどんなふうにこれを続けているのかを話しました。命を絞って、という言葉でした。
聴いている側が見ているのは、明るく、軽く、楽しそうに話している人です。辛そうにも、大変そうにも見えません。ですから、こちらも軽いものを受け取っている気持ちになります。
軽く見えるのは、差し出し方が自然だからで、中身が軽いからではありません。受け取っているものに名前がつけられないことについては、説明と、そのものは違うにも書きました。
気づかないまま受け取っていると
そのままにしていると、聴き方のほうが少しずつ浅くなります。流しておく日が増え、聴き終わってもあとに何も残らない、という時間が続きます。
何年か過ぎたあとで、あの時期に何を受け取っていたのかを思い出せる方は多くありません。もらっていたこと自体が、記憶から抜けていきます。
当たり前になるのは、自然なことです
忘れてしまうのは、感謝が足りないからでも、心が冷たいからでもありません。人は、毎日そこにあるものを数えられないようにできています。空気を数えないのと同じです。
ですから、ときどき思い出す機会があれば足ります。ハッとした日のあとは、同じ音声でも聴こえ方が変わります。
菜穂は、Resonance Labo のレゾナンスボイスとLINEボイスで、日常の中でふっと戻るための短い音声を届けています。毎日のことになっても、一つひとつが同じように作られているわけではありません。
その日のLINEボイスを聴いた方から、次のようなお便りをいただきました。
参加者の方から届いたお便りより