説明と、そのものは違う
夜、台所で洗い物をしながら、スマートフォンでライブ配信を流しています。
聞き流すつもりでした。それなのに、途中で手が止まって、気づくと涙が出ている。自分でも、何に反応したのか分かりません。
何を受け取っていたのか
話の内容に感動した、というのとは違います。内容は、あとになると思い出せないこともあります。
それでも、その時間のあとだけ、呼吸が深くなっている。眠ってしまう方もいます。数日たっても、体が軽いままだったという方もいます。
自分の身に起きていることなのに、名前がつけられません。
神経の言葉で、名前がついた日
9月15日、菜穂は、たきコーチとYouTubeライブをしました。普段はゴルフのレッスンをしながら、AIを使って機能神経学とスポーツ科学を深めている方です。
たきコーチは、菜穂のところで起きていることを、神経の言葉で説明してくださいました。声を聞いているだけで眠ってしまうこと。心拍のゆらぎ(HRV)が上がること。終わったあと、数日は体が軽いままであること。
起きていたことに、一つずつ名前がつきます。けれど、受け取っていたのは説明ではありませんでした。
「翻訳は、どこまで行っても地図です」
そのライブの中で、たきコーチはこうおっしゃいました。
「僕がやったのは翻訳です。翻訳は、どこまで行っても地図です」
「なほさんが実の場でやっていることは、土地そのものです」
地図は、どこに何があるかを教えてくれます。けれど、地図を何枚読んでも、土地に立ったことにはなりません。土の匂いも、風の強さも、地図には載っていないからです。
説明を探しているあいだ
腑に落ちる説明を見つけると、人は安心します。そして、安心したところで止まります。
もっと分かってから、納得できてから。そう考えているうちに、一年、二年と過ぎていきます。その間、体のほうは何も受け取っていません。
説明は、あとからいくらでも増やせます。増やしても、手元の地図が厚くなるだけです。
分からないまま感じているのは、鈍いからではありません
理由を言えないのに体が変わってしまうことを、自分は流されやすいのではないか、と心配される方がいらっしゃいます。
けれど順番として、体のほうが先です。頭が説明を持つのは、いつも後からです。同じ場にいるだけで状態が変わることについては、人のそばにいるだけで、自分の状態が変わる理由にも書きました。
ここで受け取っているのは、説明ではありません。菜穂の声と、そのあらわれそのものです。
来週22日にも、たきコーチとのライブがあります。
その日の配信について届いた、あるメンバーの方のお便りをご紹介します。
参加者の方から届いたお便りより