説明がつかないことに、不安を感じるとき
説明がつかないものを、人はどこまで受け取れるのでしょうか。
画面を閉じたあとも、効いている気はします。けれど仕組みが分からない。分からないものを続けるのは落ち着かない、という気持ちが残ります。
分からないと、続けられないのはなぜか
人は、理由のあるものを優先します。理由があれば、人に説明できるからです。
説明できないものを続けていると、周りから聞かれたときに困ります。困る場面を避けるために、やめてしまう方もいます。
別の分野の言葉で、つながることがあります
同じことを、違う分野の人が違う言い方で説明している場合があります。専門が違えば、使う言葉も組み立ても違います。
それでも、指しているものが同じだと分かる瞬間があります。そのとき、急に腑に落ちます。中身が増えたのではなく、入口が一つ増えただけです。
分からないまま抱えていると
理屈が追いつかないものを持ち続けると、人に話さなくなります。話さないので、確かめる機会も減ります。
そのまま年月が経つと、自分でも半信半疑のまま続けることになります。効いていても、効いていると言い切れない状態です。
理屈は、あとから追いつきます
体験が先で、説明が後になることはよくあります。効くことが分かってから、仕組みが分かるまでに長い時間がかかった例はいくつもあります。
だから、いま説明できないことは、ないことの証明にはなりません。
分かる人が一人いるだけで、変わります
理解してくれる人が周りにいないと、自分の判断を自分で支え続けることになります。支え続けるのは、それだけで力を使います。
一人でも同じものを見ている人がいると、その負担が半分になります。内容が証明されたわけではなくても、持ちやすさがまったく違います。
孤立しているときほど、理屈を求めたくなります。求めているのは説明ではなく、支えのほうです。
納得したいのと、疑うのとは違います
自分の判断を人に説明したい、というのは自然な望みです。説明できないものを持つのは、それだけで負担になります。不安なときほど、特別な答えを探してしまうに詳しく書きました。
違う分野の人の説明を聞いて、いつも言われていることの凄さをあらためて実感した。そういう感想をいただきました。
参加者の方から届いたお便りより