何度聞いても、頭に残らないと感じるとき
夜、洗い物を終えてから、同じ話をもう一度、最初から流しています。三度目です。
一度目でちゃんと分かったつもりでいました。それなのに翌朝には、手ざわりだけが残って中身が消えている。だからまた戻ります。
分かったつもりは、あとから抜けていきます
聞いている最中は、たしかに腑に落ちています。うなずきながら、なるほどと思っている。
ところが数時間たつと、輪郭だけになっています。人に説明しようとすると言葉が出てきません。手を離した風船が、見えているのに届かないのに似ています。
そのままにしておくと、自分の理解力のほうを疑いはじめます。回数を増やしても同じことが起きるので、余計にそう思います。
残るものと、残らないものがあります
言葉として覚えたものは、たいてい残りません。順序立てて説明できる知識ほど、生活のなかでは使われないままになります。
一方で、体のほうに入ったものは説明できません。説明できないので、自分では「何も残っていない」と判断してしまいます。
判断の物差しが言葉しかないために、残っているものを数え落としている、ということが起こります。
戻ってしまうことに、覚え方は関係がありません
同じところへ何度も戻る人は、たいてい真面目です。分からないまま先へ進むのが落ち着かないので、確かめに戻ります。
けれど、繰り返し触れることそのものが働きかけになっている場合があります。暗記するためではなく、同じものに何度も触れるために戻っている。
そうであれば、覚えていないことは失敗ではありません。同じことを何度も繰り返してしまうのはなぜかにも近いことを書いています。
何度も聞き返しているうちに届き方が変わってきた、という一通があります。
参加者の方から届いたお便りより