不安が減らないとき、菜穂と話した人に起きたこと
本を読み、考え方を入れ替え、朝の習慣を整えてみます。うまくいかなければ、次の方法を探します。
そうやって何年も続けているのに、職場の空気も、家の中のやりとりも、去年と同じままです。
頑張っていないわけではありません。むしろ、ずっと頑張っています。
自分を直すほうへ進んでいるあいだは、直すところが次々に見つかります。ひとつ終われば、また次が出てきます。
一年、二年と重ねていくうちに、自分は欠けたところの多い人間だという感覚だけが積み上がります。
そのあいだ、不安は減りません。
私は何一つ変わってないのに
便りに、こうあります。
「私は何一つ変わってないのに ストーリー自体が真逆になって 不安や心配がそれほどなく (あったとしても聞いてもらえば大丈夫と言う安心感) 穏やかに日々を過ごせる事や 愛や感謝が自然と湧く 何もかもが真逆の日常がおくれるなんて」
私は何一つ変わってない。そう書いてあります。
自分は変わっていない。なのに、話のほうが真逆になっている。変わろうとした話ではありません。何かを直した話でもありません。
不安が消えた、とは書いてありません。あったとしても、と書いてあります。
変われないことと、意志の弱さは別のことです
書き手は、自分を作り替えたのではありません。何一つ変わってない、と、最初に書いています。
プライベートトークでは、直すところを教わることも、宿題もありません。うまく話す必要も、整理してから来る必要もありません。
それでも受けた方は、自分では何も変えていない、と言います。同じ相手、同じ職場、同じ家族のまま、返ってくるものだけが違っていきます。
菜穂は、これまでに一万回を超えるセッションを重ねてきました。
「鬼の話もそうだけど 菜穂ちゃんが伝えてくれている事が 体感として分かるのは 本当に数年後 これもコツコツコツコツと 触れさせてもらっての積み上げなんだと 思いました」
数年後、とあります。コツコツと、です。
「菜穂ちゃんが私たちを作品と言ってくれて 嬉しかったけど 本当にその通りだなと思いました」
読んで緩むことと、絡まりがほどけることは、別のものです。
私は何一つ変わってないのに、ストーリーが真逆になった。お便りを、このあとに置きます。
参加者の方から届いたお便りより